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2007年10月07日

スプートニクと宇宙



今から50年も前、私が生まれるよりずっと前に、人類の技術はすでに宇宙へ到達していた。


その後、世界初の有人宇宙飛行がガガーリンによって実現される。1961年4月12日である。

スプートニク1号が1957年10月4日。

その後、犬を乗せたスプートニク2号が、1957年11月3日。

そして、その4年後には、ボストーク1号によって有人宇宙飛行が実現したのだ。

この時の有名なことば。

“地球は青かった”

良く考えてみると、有人宇宙飛行成功の裏には、数々の失敗があるはず。
Wikipediaでガガーリンを調べてみると、以下の記述があった。

いまだにソ連ではガガーリン以前に二度有人宇宙飛行が試みられたが、失敗し、永遠の秘密とされたといううわさもある。この話はしばしば著名な飛行機設計者イリューシンの息子ウラディミール・イリューシンの名前と結びつけて論じられる。ソビエト政府は宇宙計画のイメージダウンを恐れてすべてを秘密にしているというのである。

ロバート・ハインラインは1960年に書いた記事「プラウダは真実を意味しているか?」の中で、1960年5月15日の出来事として次のような話を記している。それによればハインラインがソ連を旅行中、赤軍兵士たちが有人宇宙ロケットが打ち上げられたということを熱く語っていたという。しかし、後から政府高官に聞いても否定され、ビリニュスで見たプラウダにも何も記事がなかったというのである。ハインラインは実際に有人宇宙ロケットが打ち上げられたが失敗したため、封印されたのだと考えた。

ガガーリンの伝記『スターマン』によれば、このようなうわさが広まった背景には、有人宇宙飛行に先駆けて行われた無人試験飛行で、人形を乗せ、通信のチェックを行うために人の声を吹き込んだテープをのせていたことが原因ではないかと推測している。もっとも、ガガーリンの宇宙飛行時、打ち上げまではその事実は明らかにされなかったこと等を挙げ、ソ連の事実隠蔽を疑う意見もいまだに存在する。

しかし、打ち上げ成功直後にソ連政府は「ガガーリン少佐を乗せたヴォストークが軌道周回中」と発表している。この事は、ソ連政府がガガーリンの安全な帰還に相当な自信を持っていたことの現われとも受けとめられ、もしそれ以前に有人飛行に失敗しているなら、そのようなタイミングでの発表は考えにくい。この事も、噂を否定する間接的な証拠と言える。

何より、これまで様々な噂が流れていたにも関わらず、それらを証明する物的証拠は何一つ出ていない。

当時は冷戦という特異な社会構造の中で、いわば敵国であったソ連への漠然とした不信感が存在していた。そのため、そのような感情に関連して「ソ連が事実を隠蔽している」との噂が産み出されたのであろう。

Wikipediaより出展



真相は闇の中である。

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posted by seking at 09:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 話題・ニュース
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